無我〜前編〜

 

 その日も、骸羅は虫の居所が悪かった。

 

 和狆に言付かった所用の為、山間の小さな村落まで来たのだが、そこで子供に泣かれた。

 ちょっとものを尋ねようとしただけなのに、骸羅を見るなり腰を抜かし、火が点いたように泣きじゃくっている。

――またか。

 骸羅は忌々しげにそれを睨め下ろす。

 新しい土地に行く度にこれだ。どうしてこううまくいかないのだろう。

 子供にしてみれば、聞き慣れぬ野太い声に呼ばれて振り返ると、天をも突くような大男がにこりともせずに自分を見下ろしていたのだから、たまげるのも無理はなかった。

「おいボウズ、いちいち泣くな。お前××××ついてんだろうが!」

 骸羅としては精一杯なだめているつもりでも、傍目にはとてもそうは見えない。

 母親らしき女が転ぶように駆け寄る。動けずにいる子供を掻き抱くと、一緒に取って食われでもしそうな眼差しで骸羅を見上げた。

「なんでそんな目で見るんだ?! あんたも最初ッから見てたろうが!?」

 それに対しても怒鳴り散らすことしかできない自分に、また腹が立つ。

 小さな集落だから、嫌でも骸羅の声はよく通った。もともと声は大きかったが、声変わりで更に太い声になったせいで、向かいの山から山彦まで返る始末だ。

 騒ぎを聞きつけて集まった村人の、畏怖と懐疑の視線が全身に突き刺さる。

「っ……お前らも何見てんだよ! 俺はなにもしとらんぞ!」

 一人が小声で、坊主のなりした半鐘泥棒だ、と言ったのを骸羅は聞き逃さなかった。

「誰だおい! いま何つった!? ブン殴られてぇのか!!」

 声のした辺りに喚くが、正直に名乗り出ようはずもない。

 無分別に殴り倒すわけにもいかず、骸羅は歯軋りして地面を踏みつけた。

 

 なんとか野次馬の一人を掴まえて用は済ませたものの、帰途を急ぐ骸羅の苛立ちはまだ治まる気配がなかった。

 どうせ和狆はすぐに気付くだろう。

 そして毎度のように聞くのだ、村人に手をあげはしなかったかと。

(だったら俺に使いなんかさせるなってんだ!)

 骸羅が枯華院へ預けられて、5年近く経つ。

 すべてに対して攻撃的だった当初に比べれば、随分丸くなったものだと自分では思う。

 それでも未だに、枯華院に一番近い村でさえ、骸羅のことを恐れる村人は多い。

 せめて、乱暴な物言いを改めろと和狆は言う。平常であれば、それもできなくはない。

 だが、外見だけで恐れられると一気に頭に血が上った。

 そうなるともう、和狆の教えも何も頭から吹き飛んでしまう。何度も繰り返してきたことなのに、これだけは慣れというものがなかった。

 

「クソッ、面白くもねえ――」

 吐き捨てながら山門への石段に足をかけたとき、珍しく先を行く人影がいることに気付いた。

 その編み笠姿を認めるや否や、骸羅は大音声で呼ばわっていた。

「おいテメェ! 枯華院になんか用か!!」

 わざとだった。

 相手は帯刀した武士だ。

 これで逆上して因縁をつけてくるなら、受けて立つだけのことだ。誰でもいいから、喧嘩で憂さが晴らしたかった。

 侍は吃驚したように歩みを止め、振り返る。

 自分を見上げている僧形の大男を見て、ああ、と声を上げると、その場で笠を取って会釈した。背丈はあるが、まだ前髪立ちの少年だ。

「?」

 予期せぬ反応に拍子抜けした骸羅は、次の瞬間、枯華院の山門も吹き飛びそうな声で叫んだ。

「シ……シロ!? シロか!!」

 犬でも呼んでいるかのようだが、侍は笑顔で頷いた。

 飛騨高山に屋敷を構える佳城家の四男で、幼名を四郎右衛門という。「シロ」とは彼が兄弟だけに許している呼称だ。

 先程までの不機嫌はどこへやら、骸羅は破顔して石段を駆け上ると、

「お前、でかくなったなあ! 見違えたぜ」

 大きな掌で、四郎右衛門が咽せるほど強く背中を叩く。

「三兄は相変わらずで……。遠目に見てもすぐ分かりました」

 四郎右衛門は骸羅のことを「三兄(さんにい)」と呼んだ。

 互いの立場は変わっても、気持ちは昔のままだ。四人兄弟の中で、骸羅が唯一気さくに話せる弟だった。

「俺が出て行くとき、こんくらいだったのによ」

 大袈裟に膝くらいの丈を示され、

「いや、そこまでは。まあ、三兄から見れば同じようなものか……」

 四郎右衛門は苦笑する。

 七尺四寸もある骸羅と並べば誰でも小さいが、四郎右衛門も細身ながら六尺近い長身だ。

「これでも一兄(いちにい)や次兄(つぐにい)より、大きくなりましたよ」

「末成り(うらなり)野郎はチビのまんまか。ザマぁねえな」

 背の低いことをずっと気に病んでいた下の兄を思い出し、骸羅は口元を歪める。

 四角四面で父親似の長男もいけ好かなかったが、次男とは特に仲が悪かった。喧嘩はすこぶる弱いが奸知に長ける男で、讒言で骸羅を窮地に陥れたことは一度や二度ではない。四郎右衛門に対しては、どちらも普通の兄なのだが――。

 骸羅は改めて、弟の顔をまじまじと見る。

「でかくはなったが、お前、ツラは相変わらず――」

「勘弁して下さい、私も気にしているんです」

 華奢などという言葉とは無縁の骸羅と対照的に、四郎右衛門は身体も顔の作りも線が細い。幼少の頃からそうだったが、目鼻立ちがますます母親に似てきた。

 武家の女性らしく、夫に絶対服従だった。骸羅が家を出る日も、主の言うままに、見送りはもちろん、言葉ひとつかけてくれなかった母親――。

(なんだ俺は……、つまらんことを思い出しやがって。)

 骸羅は弟から目をそらすと、足元の小石を蹴り飛ばす。石はかつかつと乾いた音を立てて、石段の下まで転げていった。その音が、妙に骸羅の耳に残る。

 それまで懐かしさに目を細めていた四郎右衛門は、落ちていく石を見下ろしていた兄の横顔を仰ぎ見て、ぎょっとした表情になった。

「ア、さっ、三兄……そ、その、髪は……!?」

「んっ?」

 弟の視線が自分の後頭部に釘付けになっているのに気付いて、

「おおそうか、お前は初めて見るんだったな」

 骸羅は悪びれもせず、その節くれ立った指で、己の斬髪をくしゃくしゃとやってみせた。

 四郎右衛門の記憶の中の三兄は、真っ黒で太く強(こわ)い髪を結い上げて垂らしていた。それが髻(たぶさ)からばっさり綺麗になくなっている。

「てめえで切っちまったよ。こっちへ来てからは、ずっとこれだぜ」

「ご自分で――」

 呆然と呟く四郎右衛門に、

「まあそんなこたぁいいや。シロ、わざわざこんな所まで何しに来た」

 そういう骸羅の目は、もう笑っていなかった。

 四郎右衛門もそれを見て、相応の居ずまいに戻る。

「住職にお話があって、参上仕りました」

「なんのだ」

「父上より、直接お伝えせよと申し付かっておりますので――」

「ふん、俺は口を出すなということか」

「……」

 四郎右衛門は黙礼すると、枯華院への石段を登り始めた。

 骸羅は小さく舌打ちしたが、むっつりとその後について歩き始める。

 

 急の若い来客に、出てきた和狆も意外という顔をした。

「初にお目もじ仕ります。わたくし、高山の佳城四郎右衛門と申します。当主の使いで参りました」

「高山の佳城家というと、骸羅の」

 生家からの使いとは分かったが、少年と骸羅との関係までは把握できないようだった。骸羅が面倒臭そうに補足する。

「こいつぁ俺の弟だよ。似とらんが親は同じだ」

「なんと」

「兄が世話になっております。突然まかり越しました非礼をお許し下さい」

 改めて頭を下げる四郎右衛門に、和狆は目を丸くした。

「ほ、お前にこのような弟御がおったとは。……礼儀正しいところも似ておらんの」

「うるせぇ」

 仏頂面になる骸羅に茶の用意を言いつけると、和狆は若い侍を庭の一望できる一室へ案内した。

 廊下を行きながら、四郎右衛門が和狆に訊ねる。

「上人(しょうにん)様、“がいら”とは?」

「三郎太のことじゃよ。ここでは、花諷院骸羅と名乗らせておる」

「兄の……成る程」

 腰を落ち着け、再度形式張った挨拶を受けた後、和狆は和やかに切り出す。

「して、何用で参られたのですかな?」

「は、実は――」

 四郎右衛門は言いかけて、ちらと脇を見やった。

 茶を出したまでは良かったが、やはり後ろ髪引かれるのか、そのままそこにいた骸羅がむっとした顔で四郎右衛門を見返す。

 気付いた和狆が骸羅を促した。

「骸羅。話が終わるまで、ちと外してくれぬか」

「聞くだけならいいだろ! こいつが来るんじゃ、俺の話に決まって――」

 胸を叩いてまくし立てる骸羅に、和狆はぴしゃりと言った。

「なればこそ、おぬしがいては話し辛いこともあろうて。わしが呼ぶまで、御堂で瞑想しておれ」

 骸羅は何か言い返そうとしたが、大きく鼻を鳴らすと、部屋から大股で出て行った。

 珍しく素直だと思ったのも束の間、何かが派手に砕け散る音と、大きな振動が寺を揺るがす。壁を殴るか蹴るかしたらしい。

「こっ、こりゃああ〜!!」

 廊下に向かって怒鳴りつける和狆に、四郎右衛門が代わりに平伏した。

 

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